SSブログ
前の10件 | -

ウォーキング 歩道を考える

寒くなったこの季節、ウォーキングには最適である。

速足で歩けば温まる。手袋と帽子さえあれば、寒くても大丈夫だ。
春先の週末金曜日は、10キロぐらいは町の景色を眺めながら歩いていたが、
多忙な日々と暑さのせいにして途絶えていた歩きを今週末から、また、はじめようと思う。

ウォーキングの魅力は、車がすり抜けできない狭い路地でも踏破できることだ。
そこには今まで見たことのない景色が広がっている。
小さな居酒屋に人が溢れんばかりに入っていて賑わっていると、足がそちらに向いている。

遠くに行くことが旅ではない。いつもの道をほんの少し外れるだけで新しい世界が待っているのだ。幹線路から一歩入った路地は、その町の人々が行き交う場であり、生活の匂いがする。

育メンだった若い頃は、ベビーカーで散歩したり、ままチャリで保育園に送迎したり、買い物に出かけたり、結構歩いたものである。

子育ての頃、町を歩いていて特に感じたことが3点ほどある。今も同じ思いである。

1つは、歩道の狭さである。出来れば歩道は2メートルほどはあって欲しい。自転車や歩行者がスムーズに移動できるのだが。こればかりは、長い時間をかけてよくなっていくであろう。

2つめは、歩道と車道の段差、0.5~1センチ位であろうか、ガタンとくるのである。
歩いていただけでは気づかないが、ベビーカーや自転車で進むと一番嫌な部分である。
先日から85歳の父がフロアと絨毯の差で躓いたが、お年寄りの街歩きは小さな段差でも、
転倒する危険がある。この段差が解消することで、外歩きの人が増え、健康増進にも繋がろう。

3つめは、クッション性のある歩道を普及してもらいたいと思う。街の一部で採用された箇所もあるが、やわらかくて疲れた足を癒してくれるものだ。

元気な年寄りや子供たちが笑顔でウォーキングをする、そのような町に育ってほしいと願っている。


最後までありがとうございました。

電話の日からスマホの日へ

今日、12月16日は「電話の日」である。

1890年東京・横浜間で初めて電話が開通した。それも電話交換手を通して。私の母も電話交換手で、いつも若い時代の仕事の話をきかされたものである。

昭和30年時代、自宅に電話機はなかったが、昭和40年になると、自宅に黒電話がやって来た。あのダイヤルを回すときは、ダイヤルのその数字の穴に人差し指をちゃんと入れ、最後まで回し切っているか、確かめながらかけたものだ。

昭和50年代になると、もうプッシュホンだ。すごい時代になったんだと感じた。

その後、ロールケーキほどの携帯電話で誇らしげに電話している姿をみて、自分も早くそうなりたいと思ったものだ。
また、当時はアンテナのついた車は自動車電話が鎮座していたものだ。ダミーのアンテナをカーショップで販売していたほど、自動車電話にあこがれたものである。

その後、ポケベルの全盛時代となり、会社に常に管理されてるようで嫌だなと思っていたが、携帯電話の普及でさらに管理が強まっていく。
喫茶店でのコーヒータイムから、自動販売機の缶コーヒーへと、ホットする時間が消えていく。

ドコモのiモードで着メロやゲーム、各種情報が獲得できるようになると、その便利さから急速に普及し、携帯電話は一人一台の時代に突入した。

そして今は、スマホの時代である。

家内は、すでに3年前から使用している。家内のスマホの目覚ましの音が鳴り、止めようとして、何度画面を押しても止まらない、あーだめだ、それから3年、料金が携帯電話より安くなったため、仕方なく、スマホに切り替えさせらた。

最初の1月は、結構苦労したが、今は当たり前のように使う。もう、携帯電話には戻れない。

いつでもどこでもあらゆる情報が取得できる電話機、否、パソコンである。
ポケットの中に世界の情報が詰まっている。今は料金も安い。買い換えない手はないのである。

今、還暦にむけて、同級生とたくさんの情報交換をしようと思うが、なかなかメールの返信が返ってこない。自分を含めて時代に取り残されつつある人が相当程度いることを実感する。

黒電話のように、高齢者にもっと、もっと、やさしいスマホに育ってほしいと切実に感じる今日この頃である。



最後までご覧いただき有難うございました。


2015年 今年の漢字

2015年の一文字 今年の漢字が12月15日(火曜日)14時に発表される。

清水寺 森貫主の一筆書きが有名である。

漢字の日は、本来12月12日だが、本年は15日となった。
12(いいじ)月12日(いちじ)⇒いい字一字の語呂合わせから来てるそうだ。

世相を一文字で表すことは難しいが、その文字を見るとその年のトピックが
浮かび上がってくるものだ。

昨年末に発表された2014年を象徴する漢字は、消費税率が5%から8%に
引き上げられたことにちなみ、「税」が選ばれた。

過去5年を見ると、平成26年【税】、平成25年【輪】、平成24年【金】、
平成23年【絆】、平成22年【暑】である。

私にとって一番の漢字は、平成23年の【絆】である。
ちょうど55才の時である。

東北大震災で、たくさんの絆が断ち切られたことに心が痛み、と同時に、
自分に何ができるか、考え続けていた。
その年の夏、ハワイに転勤していた同級生が地元に戻り、長話となった。

別れ際、その同級生曰く、同窓会開いてよ、である。
心の棘だった【絆】という文字は、「同窓会開いてよ」という言葉で、
自分にできるものは、これだと気づかされた。同級生に感謝だ。

それから3か月余り、地元の同級生の力を借りて、同窓会を立ち上げた。
平成23年11月末に80名が集合して、第1回同窓会を開催した。
同級生350名中2割の参加だったが、大いに盛り上がった。

それを機に、来年、還暦祝いを開くが、すでに6割200名近くの所在が明らかとなった。
それでも、4割近くが以前不明のままだ。
中学卒業から45年の月日は、一気には、取り戻せない。
地道に絆を求めていこうと思う。

今年は、海外各地で紛争がおき、穏やかに暮らしていた人々に襲いかかり、
命からがら逃げ惑う姿が目を曇らせた。

テロに始まりテロに終わった1年であった。まさに【乱】である。

国内に目をむければ、
国立競技場問題、東芝の不正、五輪ロゴの取り下げ等、不正・不審に絡むもの
鬼怒川決壊、桜島や箱根の噴火などの自然災害、
フィギュアでの浅田選手、羽生選手の活躍、ラグビー五郎丸選手などで盛り上がった。
また、ノーベル賞の大村さん、梶田さん すごい!
国内は、悲喜こもごもの出来事であった。
一文字で表すとなると、結構迷ってしまうのである。

でも私は、【妖】を2015年の漢字として選びたい。

妖怪ウォッチの【妖】である。
というより、ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげる先生が生涯追い求めた
妖怪の【妖】である。
先日、逝去されたが、先生は、2千種類もの妖怪を描いてこられたそうだ。
その妖怪は、その時代の写し鏡として、世代を通して共感を呼んできたのだ。

我々日本人に精神的に多大な影響を与えていただいた方の徳を偲び、ぜひ【妖】に
していただきたい。

見えないものにも魂は宿るのだ。日々、自分に向き合い、誠実にいきているか、と、
問われているようだ。日々の暮らしの中で、自分も妖怪になっていないか?

先生のご冥福をお祈りいたします。  合掌



最後まで有難うございました。



毎朝の弁当 妻に感謝

妻は月曜と週末を除き、夫と息子たち3人分の弁当を作る。

今朝はご機嫌ななめだ。理由は分かっている。

弁当箱を前日の夜に台所に出していないのだ。
弁当箱の汚れは水に浸けおきしていないと、なかなかとれない。

夫はそのあたり心得ているので前日に洗って拭きあげておく。
長年連れ添っていると勘所が分かるのは当然である。
無用な争いを避けるためだ。
不用意な言動は、あちこちでいろんな不都合を引き起こす。ステルス攻撃だ。

息子たちは対母親対策に弱い。こればかりは教えるものでもあるまい。
アドバイスはするが、右から左に抜けていく。
ぐっすり眠っている2階の子供部屋へ階下から矢の声が飛ぶ。

ガンバレ!子供たち、そうやって強くなっていくんだ、と、密かにささやく。

以前は、毎日外食などで一日あたり千円以上は使っていた。
一月あたり2万円超の小遣いが翔んでいく。
しかし、子供の大学進学、両親の老人ホームへの入居等が重なり、
費用がかさむため、節約のため、弁当に切り替えた。

すでに、1月となる。
結婚以来、小遣い生活なので、ひと月できれいに使い切ってしまっていた。
月末25日には、また新しい小遣いが入ってくるのだから。

弁当になって、全くお金が減らないのである。
御飯がしっかり入っているので、小腹がすくこともなく、3時のおやつも要らない。

次の小遣いの配給まで、あと1週間ともなると、おにぎりだけという日もあった。
昨日までのことが嘘のようだ。

節約でも、2週間に一度位は家族にケーキやアイスを買って帰る習慣は続けようと思う。

もう弁当はやめられない。
明日、土曜日、子供たちは500円玉が昼食代だ。

私の分だけなので自分で作る。
明日朝の献立は決まりだ。
冷凍おにぎりをチンする。おかずは、目玉焼き、
有り合わせの蒲鉾や佃煮、大根と人参のなますをさっと作り、
最後に、日の丸弁当に欠かせない梅干を白飯に押し込む。
はい、一丁あがり  の予定だ。

お手のものである。
昔から食べることが好きで、結構自分で作ってきた。
いまでも、週末の夕食と毎朝の味噌汁作りは自分の当番なのだ。

それにしても、弁当にしてから、体調がいい。
体重も少しずつ減り始めた気がする。太鼓腹が微妙だが、少し凹んだか??

とにもかくにも、早起きして弁当に向き合う妻に感謝である。ありがたい。



最後までご覧いただき、有難うございました。

ふるさと納税

いよいよ12月も半ばである。

年末ぐらい、美味しいものを食べたいと思うが、チラシを見ても、何もかもが高い。
季節柄、しかたがないのであるが。

たまたま、豪華な特産品がもらえるふるさと納税というTVがあった。
ふるさと納税といっても、税務署に確定申告にいくこと自体、敷居が高く、億劫だ。
よって、スルーしていた。

ところが、ふるさと納税ワンストップ特例制度という仕組みができているそうだ。
それによると、地元の市町村役場に特例申請書を提出するだけで、翌年の住民税が
安くなるそうだ。

例えば、1万円を寄付すると、必ず負担しなければならない2千円を差し引いた8千円、
翌年の住民税が安くなる。ただ、年間の住民税・所得割の2割迄という制限はついているが。

おまけに豪華な商品が、返礼品として配達されてくる市町村もあるということだ。
特に宮崎県綾町の綾ぶどう豚食べ尽くしセット、岡山県吉備中央町の吉備中央町産
コシヒカリなどだ。

これだったら使えそうだ。

もし、5万円寄付したら、2千円差し引いた4万8千円が住民税から最大限控除される
計算だ。あくまで仮の数値だが。

豪華な返礼品で嬉しい、税金が安くなって嬉しい、しかも、手続きが簡単ときている。三重に嬉しい。 でも、それって本当か?

まずは1万円分購入して様子を見ることにしようと思う。
27年分は、年末迄が対象なので、急ぎ商品を選ぼなくては...

そもそも、ふるさと納税は自分とゆかりのある地域を応援しようという目的で
始まったものである。
ゆかりはなくても、美味しいものをいただくと、その地域に愛着がわくのだ。
ふるさと住民票という考え方がでてきており、週末はそこに居住することで、
住民サービスを受けられるということが提言されているそうであるが、
そうなると、ゆかりができるではないか。

ふるさと納税は個人に対する制度だが、企業版のふるさと納税も検討されているようだ。
疲弊している地域が少しでも活性化して欲しいものである。

税制度はヒートアップしてくると、いつのまにか無くなってしまっていることがあるが、
いつまでも故郷を残し、また、忘れないためにも、息の長い制度であって欲しいものだ。

最後までご覧いただきありがとうございました。

今年の家庭菜園を振り返る

家庭菜園を初めて15年

毎年、土曜日、日曜日に2・3時間程度、畑にでる。週末のお決まりだ。

1月 大根が大収穫で、皆さんに喜ばれた。おでん、ぶり大根、なます、味噌汁の具、そして、沢庵漬 重宝な野菜である。

1月 白菜は、種を播くのが遅れたせいで、結球しなかったが、霜の降りた白菜を茹でて、自宅でとれたゆずと醤油を合わせ、白菜のアツアツにかけて食すると、もう幸せ!
でも、2月下旬から昼間暖かくなると、ナメクジが葉と葉の間に入るようになり、次第に白菜から遠ざかった。

2月 トマト 2月下旬に保温栽培用の容器と1袋500円もする種を購入した。播種用土に水を含ませ栽培容器に入れる。
 容器の一つのポット穴に種を2粒いれ、その上にそっと土を盛る。容器にカバーをかぶせる。
 さらに、500円の投資を無駄にしたくない思いから、プチプチ・シートで全体に覆い、さらに衣装ケースとして使っていた割れた透明プラスチック容器をガムテープで補修し、その中に入れ、日の当たる車庫の下に置いた。
 朝夕の寒さはとても厳しい。2週間ほど、毎日のぞき込むが芽がでない。仕事も忙しくなり次第に見なくなっていた。一月ほどしてトマトのことに気づき、早速車庫へ。
 なんと青々と双葉が生い茂っていた。その後地植えして収穫できた。さすが、高いトマトだけあって、実に美味い。

5月 玉ねぎ 最悪である。例年、玉ねぎは豊作であった。
農薬を使わず、なるべく肥料も減らして植物本来の力を引き出そうという本に惹かれ、玉ねぎは、赤花クローバーと植えると大きく育つと書いてあったので、早速実行。
 ところがクローバーは成長が早く、畑をこんもりと覆うようになり、その中で玉ねぎが育たなかったのである。クローバーは地中深く根を張り、葉が枯れ、根は栄養分となり、玉ねぎが育つのだと。しっかり文章を読みこまなかった私が悪いのだが。
 またやろうとは思わない。意気地なしである。
 今年11月には従来通りのやり方で400個ほどの玉ねぎ苗を植えた。

8月 オクラや小松菜を植えていたが、4~6月の仕事の忙しさで、雑草が勝ってしまって、いつの間にか萎れてしまっていた。

9月、サトイモ、サツマイモ 順調に葉が伸びている。
 よしよし、ところがである。何かおかしい!?
 サトイモの葉が根元からきれいに切り取られたようになっている。カミキリムシか、モグラか、それとも、最近よく悪さするカラスか、その1週間後、サトイモ、サツマイモすべてがなくなっている。
 隣の家庭菜園の師匠の畑を見るとやはり同じだ。なんと、犯人はイノシシである。最近、家内が夜、自宅の横を流れる小川のそばから、異様な声が聞こえて寝れないといっていたが、こいつだったのだ。近所に聞いて回ったが、何処も同じようなものである。すごい食欲なのだ。2ケ月もすると現れなくなった。ちょうど11月に入り、山はドングリも落ちて、畑に降りてくる必要がなくなったのであろう。
畑の持ち主に相談して、出入り口に金網を張る対策を取るつもりだ。

いま、大根やかぶ、京菜、ホウレンソウ、春菊、ゴボウ等が豊作である。

大地の恵みはとてもありがたい。
イノシシも今年はたくさんのサトイモ、サツマイモを食べてご機嫌であったろう。

今年は、収穫は厳しかったが、家族が食べるだけの野菜はとれた。
余り欲を出すと、何かに足をすくわれる。
イノシシに収穫に対する感謝を教わった年であったのかもしれない。


最後までありがとうございました。

両親 老人ホームへ

私の両親は、昭和5年の父と8年の母で、来年86歳と84歳となる。

3年前、父の体調不良で一月ほど病院に入院するにあたり、
母を一人で実家に残しておくことはできないと、妹夫婦が引き取ってくれた。

最近、妹が体調を崩したため、12月中に入居できる老人ホーム探しが始まった。

あまりにも急であったため、すぐには見つからないであろうと覚悟していたが、
ケアマネージャーからの情報で2人部屋が空くとの連絡を受け、早速訪問し、決定した。

今、一人部屋はあるが、二人部屋の空きがないらしい。実にありがたい。

両親が、とても気に入ってくれたので、心を撫で下ろした。

両親を長男の自分が引き取るのが一番いいのは分かっているが、
受験生を抱えており、家内もフル勤務ときている。
手が届かないことは見えている。

家内は、帰宅すると、食事、洗濯、子供たちの面倒や塾への送り迎え等で休む間もない。
頑張り屋さんだから、両親を引き取るときっと倒れてしまうであろう。
それをしてはならない。その一念である。

両親は同居を願っていたと思うが、自分には出来なかった。
空しい思いは残る。

先週、空き家となっている実家の年末の大掃除にいった。
実家を掃除していると、3年前のことを思い出す。

誰もいない仏間 お仏壇だけが寂しそうに鎮座していた。
御飯もお茶も供えていない。急ぎ、お茶を沸かし、そっと、供える。

このままではいけない。

1週間後、お仏壇が我が家にやってきた。
ご住職がお参りをされ、あわただしい1日が終わる。

夜が更けて、座布団に深く腰をおろす。
蜜蝋を灯し、沈香の香りの線香を焚き、手を合わせる。

橙色の長い炎をいつまでも見つめていた。
見上げると、黄金に輝く如来様に見つめられている。

この時、

あー、家督を継いだのだと、そして、父は隠居したのだと。

引っ越しの前に、仏間で皆で食事をして、老人ホームに向かおう。
お父さん、お母さん、有難う。
後は、ちゃんとやっていくから。



最後までありがとうございました。








還暦に向けて

平成28年4月、還暦を迎える。

59年間大きな怪我や事故もなく、いま、がある。
実に有難いことだと思う。

両親も健在であり、子供3人と恵まれた。
家内も私も体が丈夫ときている。
多少のがたつきはあるが、これが60年の証であろう。

私たちの町では同級生が集まり、朝から晩まで一日がかりで
還暦行事が執り行われる。

公民館から約2キロの道のりを練り歩きながら、
紅白の餅を沿道の人に配りながら地元の神社に向かいお祓いを受けるのである。
その間、沿道の方からおめでとうの声をかけられ、
お酒やおつまみがふるまわれる。市民遺産として認定されている。

この行事のために、1年前から毎月1回集まって本番の来年3月5日に向けて、
毎月打ち合わせを行っている。中学卒業から45年、 毎月第三土曜日に
20名前後の同級生が集まり同級生の所在を確認していく地道な作業が続く。

一人一人掘り起こしていくとたまに芋づる式に同級生が顔を出してくる。
悲しい情報もまた入ってくる。

中学卒業から45年、地元を離れ、ついに故郷を忘れかけた時に還暦がやってきたのだ。
だから、しっかり消息をつかみ故郷への思いを忘れないで欲しいと思うのである。
12月中旬となり、現在、 中学卒業生350名中約200名の消息が判明した。
もっと見つけたい。
そのうち、100名ほどが還暦行事に参加することが決定した。
有難い。

60才からは仕事も一区切りであり、付き合う世界も狭くなる。
だからこの還暦を機会に毎年同窓会、いや、飲み会をして親睦を深め、
同じ故郷で多感な時期を過ごしたことを大切にしたいと思う。

同級生なので何らのこだわりもなく、同世代の価値観を共有できるのだ。
還暦を契機として、これから私たちの付き合いが始まるのだ。

美味しい酒を飲み交わそうではないか。

今からが充実した人生の始まりなのだ。


最後までご覧いただきありがとうございました。

クリスマス

今、町はLEDライトで華やいでいる。
空気も澄みきり、光が鮮やかに目に飛び込んでくる。

昨年はLEDで日本人3名の方がノーベル賞を受賞されたが、
エネルギーの節約は相当なものであろう。その優しい輝きは、
クリスマスの光の中で愛をささやく風景を彩ってくれる。
昔の自分もそうであった。

若い頃は、子供たちのクリスマスプレゼントを探し回り、
やっとお望みのものをゲットした思い出もある。
イブにはサンタクロースの服はなかったが、赤いセーターを着た
サンタの後ろ姿を家内に写真に納めてもらい、それを子供に見せると
跳び跳ねて喜んだものだ。

今年は、一番下の長女とサンタのオブジェを窓際に飾り、
外に100個のLEDライトをツリーにして楽しんでいる。
通りに面しているので皆さんに喜んで頂けると思う。

正月やお盆と同様にクリスマスは子供に限らず大人も楽しく、
たくさんの思い出が心に刻まれている。

光というのはとてもいとおしい。
太陽は、一日のエネルギーを私たちに与える。
月は私たちを情緒の世界に導いてくれる。
電球は、太陽が沈んだ私たちをアクティブにしてくれる。
ローソクのともしびは心を沈めてくれる。
焚き火は焼きいもで心もお腹も満足感でみたしてくれる。

世界中の人々が、この暖かい光で満たされることを願ってやまない。

宗派の対立はあろうが、皆が広い気持ちで、お陰さまの心で
生きていくことが大切ではなかろうか。

人誰しも欲は山ほどあるが、皆が笑顔で暮らせたらと思う今日この頃である。

最後までお読みいただきありがとうございました。

100円ショップの進化

数年前に、職場近くに100円ショップが開店した。

付箋紙やボールペンを買っていたが、それ以外見ることもなかった。
たまたま、近くで食事したこともあり、ぷらっと入ってみる。

いつもの陶器類、プラスチック容器の定番が並ぶ、
少し歩くと、およそ1間もあろうか、ハンガーが一面に敷き詰められている。
ハンガーごときに何故こんなにもスペースを使うのだ???

立ち止まり、上から下まで眺めた後、一種類ごとに、確認していく。

ワイヤーハンガー・キッズハンガー・セーターハンガー・クローゼットハンガー
省スペースハンガー・スカートハンガー・キッチンハンガー・レインブーツハンガー
シューズハンガー・キッチンハンガー・ランドリーハンガー・ネクタイハンガー
枕干しハンガー・段差掛けハンガー・ピンチ付きハンガー・冬の部屋干しハンガー
などなど。

すっごーい よくも考えたもんだ。これだけのスペースをとるという事は、それだけ
売れ筋の商品という事であろう。

ワンポイントに絞ったハンガーは確かに魅力的である。
自由競争社会だからこそいろんなアイデアが産み出されてくるのであろう。

プラスチックハンガーやワイヤーハンガーはワイシャツ等の洗濯物やクリーニングに
木製ハンガーは、ちょっとおしゃれな服や、背広を吊る位しか知らない。

木製ハンガー? 
確か、実家には木製ハンガーは結構あったと思うが、うちにはあるのか???
自分のくたびれた背広は、いつもプラスチックハンガーだ。

確かに便利ではある。でも、である。
使わないときはとてもかさばる。
ワイヤーハンガーをちょっと工夫すれば、わざわざ買う必要ある?
ペンチとテープがあれば、どのようにでもできるはずだ。
自分はDIYオタクだから、そう思うのか。
もったいないmottainai、とケニアのワンガリ・マータイさん言ってたな。

100円だから、使わなくても、無駄でもそれほど気にならない。
だから物が増え、身動きできなくなる。
もっと知恵を使って生活できないかl
また、愚痴が出てしまった。奥方がいたら、また嫌われそうだ。

それでも、100円ショップはアイデアの宝庫だ。
100円商品が家庭の中をより快適な空間に変えていく。

いま、100円で何が買えるのか、ではなく、100円で買えるかもしれない
と思って、覗いてみると、結構アイデア次第で、安く済ませることができる。

節約が大好きな私にとっては、どこよりも好きなショップである。



最後までご覧いただき、有難うございました。 感謝




前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。