電話の日からスマホの日へ
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今日、12月16日は「電話の日」である。
1890年東京・横浜間で初めて電話が開通した。それも電話交換手を通して。私の母も電話交換手で、いつも若い時代の仕事の話をきかされたものである。
昭和30年時代、自宅に電話機はなかったが、昭和40年になると、自宅に黒電話がやって来た。あのダイヤルを回すときは、ダイヤルのその数字の穴に人差し指をちゃんと入れ、最後まで回し切っているか、確かめながらかけたものだ。
昭和50年代になると、もうプッシュホンだ。すごい時代になったんだと感じた。
その後、ロールケーキほどの携帯電話で誇らしげに電話している姿をみて、自分も早くそうなりたいと思ったものだ。
また、当時はアンテナのついた車は自動車電話が鎮座していたものだ。ダミーのアンテナをカーショップで販売していたほど、自動車電話にあこがれたものである。
その後、ポケベルの全盛時代となり、会社に常に管理されてるようで嫌だなと思っていたが、携帯電話の普及でさらに管理が強まっていく。
喫茶店でのコーヒータイムから、自動販売機の缶コーヒーへと、ホットする時間が消えていく。
ドコモのiモードで着メロやゲーム、各種情報が獲得できるようになると、その便利さから急速に普及し、携帯電話は一人一台の時代に突入した。
そして今は、スマホの時代である。
家内は、すでに3年前から使用している。家内のスマホの目覚ましの音が鳴り、止めようとして、何度画面を押しても止まらない、あーだめだ、それから3年、料金が携帯電話より安くなったため、仕方なく、スマホに切り替えさせらた。
最初の1月は、結構苦労したが、今は当たり前のように使う。もう、携帯電話には戻れない。
いつでもどこでもあらゆる情報が取得できる電話機、否、パソコンである。
ポケットの中に世界の情報が詰まっている。今は料金も安い。買い換えない手はないのである。
今、還暦にむけて、同級生とたくさんの情報交換をしようと思うが、なかなかメールの返信が返ってこない。自分を含めて時代に取り残されつつある人が相当程度いることを実感する。
黒電話のように、高齢者にもっと、もっと、やさしいスマホに育ってほしいと切実に感じる今日この頃である。
最後までご覧いただき有難うございました。
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今日、12月16日は「電話の日」である。
1890年東京・横浜間で初めて電話が開通した。それも電話交換手を通して。私の母も電話交換手で、いつも若い時代の仕事の話をきかされたものである。
昭和30年時代、自宅に電話機はなかったが、昭和40年になると、自宅に黒電話がやって来た。あのダイヤルを回すときは、ダイヤルのその数字の穴に人差し指をちゃんと入れ、最後まで回し切っているか、確かめながらかけたものだ。
昭和50年代になると、もうプッシュホンだ。すごい時代になったんだと感じた。
その後、ロールケーキほどの携帯電話で誇らしげに電話している姿をみて、自分も早くそうなりたいと思ったものだ。
また、当時はアンテナのついた車は自動車電話が鎮座していたものだ。ダミーのアンテナをカーショップで販売していたほど、自動車電話にあこがれたものである。
その後、ポケベルの全盛時代となり、会社に常に管理されてるようで嫌だなと思っていたが、携帯電話の普及でさらに管理が強まっていく。
喫茶店でのコーヒータイムから、自動販売機の缶コーヒーへと、ホットする時間が消えていく。
ドコモのiモードで着メロやゲーム、各種情報が獲得できるようになると、その便利さから急速に普及し、携帯電話は一人一台の時代に突入した。
そして今は、スマホの時代である。
家内は、すでに3年前から使用している。家内のスマホの目覚ましの音が鳴り、止めようとして、何度画面を押しても止まらない、あーだめだ、それから3年、料金が携帯電話より安くなったため、仕方なく、スマホに切り替えさせらた。
最初の1月は、結構苦労したが、今は当たり前のように使う。もう、携帯電話には戻れない。
いつでもどこでもあらゆる情報が取得できる電話機、否、パソコンである。
ポケットの中に世界の情報が詰まっている。今は料金も安い。買い換えない手はないのである。
今、還暦にむけて、同級生とたくさんの情報交換をしようと思うが、なかなかメールの返信が返ってこない。自分を含めて時代に取り残されつつある人が相当程度いることを実感する。
黒電話のように、高齢者にもっと、もっと、やさしいスマホに育ってほしいと切実に感じる今日この頃である。
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